農家は作物を語ろう。

就農するにあたって・・・


事業者


名前      花村一朗

生年月日   昭和42年 

県立中津高校普通科 卒業 

最近の座右の銘 「成功は笑顔、うなずき、天国言葉」 斉藤ひとり

趣味 読書 トマトを栽培すること 体を動かして働くこと  

好きな本     自己啓発本が好き、最近は斉藤ひとりさんの本をほとんど買っている。   

所持免許  土木1級施工管理技師 測量士補 甲種火薬類取扱責任者

        大型自動車 大型特殊 移動式クレーン免許  

        その他技能講習免許は10以上保持 土木に必要な資格は持っている

        あみ・わな 狩猟免許 大日本猟友会会員 


名前     花村眞由美

生年月日  昭和46年

農家に嫁いだつもりは無いけど、旦那が就農したので

結果として農家の嫁になってしまう。

趣味 特になし

好きな仕事  ウエイトレスなど接客業 お客様の笑顔を見るのが大好き

所持免許   調理師 

 


就農当時の思いになりますけども・・・・

 

東美農農協のトマト産地として共同選果場があり、技術指導と販売がすでに出来ている

東美農トマト出荷協議会、上矢作トマト組合に参加して、トマト生産者として就農をスタートしました。

岐阜クリーン農業の団体登録を受け、農協と出荷契約をして、各種の補助金等の交付を受けるので

基本的には農協以外には販売しておりません。しかし市場の出荷基準は厳しく、熟度、形の外れた物は

引き受けてもらえません。 

それが結構たくさん出ます

市場は基本的に青いうちにトマトを出荷します、店に着いた頃ちょうど良い熟度になるように。

だからスーパーの普通のトマトは普通の味しかしません

夏場の過熟品、樹の上で赤くなりすぎてしまって受け付けてもらえない物は結構出ます。

当たり前ですが、これが美味しいのです!

形が悪くて出せない物は熟度はスーパーと同じですけど、全部花村トマトなのです。

それらの物を近隣の直売所にてお値打ちに販売をしております。

ネット販売は、予約を受けてそろい次第出荷すれば良いのですが、うちは夫婦二人で仕事

してるので今のところその余裕が無いので、まだ行いません。ごめんなさい

樹の上で赤く色づいたトマトを、いち早く店頭、そして食卓へと、

農協・商社・直売等と、これからの農作物の生産販売のあり方を模索していきたいと思っています。

より高く売ることができ、そして、より安く買える

農家と消費者がWIN,WINの関係になれたら良いと考えます。 

 

現在は、就農時の希望どおり、トマトを収獲して、直ぐに出荷して

次の日に店頭に並ぶという体制も取って来てます

もちろん、直売所も何店舗も契約して、赤いトマトをならべ

ネットによる販売も、固定のお客相手ですけど、始めています

 


トマト組合の旅行 平成29年12月
トマト組合の旅行 平成29年12月

トマト組合の旅行にて 平成23年頃
トマト組合の旅行にて 平成23年頃

僕はトマト農家です、だから大根やイチゴの話はしません。

僕は高冷地の夏秋トマト農家です、だから秋冬春のトマトは良く知りません。

僕は土耕栽培です、だから水耕も知りません。

でも、自分の作物であるトマトの話は語れます。 

農業大学校も大学の農業課も出て無くて、土木一筋に生きてきて、39歳で就農しました。

一生懸命にトマト栽培に取り組んで、成功も失敗もしました、先生について勉強し、本も読みました。

トマトについて技術も、販売も、熱い思いも沢山、話すことがあります。

駆け出し者がそんなに語れるのか? たった6年でも、もう45歳、小僧ではありません。

情熱を持ってトマト生産者として生きてきました、だから、多くの人と交流をさせてもらう機会に恵まれ、

実際、沢山の人と話をする機会にも恵まれました。 熱い話をすることも出来ました、

けんかもしました。 だからこそ新人でも、トマトについて熱く語れます。 

他の作物でも、熱く語ってくれる人が好きです。 何か自分にプラスになりますから

農家は自分の作物について熱く語れ、栽培でも販売でも何でも、農業について語ろうではありませんか。 

求める物はより大きなリング

リング、○ですね。

いろんな情報などを点として、例えば農業としてつないで行くと、一つの○になります。

数学的に言っても点が少なければ、○はがたがたし、多ければスムースな○になります。

観念的でわかりにくいですけど、より大きくスムースな○を求めて、探求するのが

人生の目的の一つ、僕はそう考えています。

 

子供の頃より大人の方が点が多くより大きな○を持っています

本を読まない人より本を読んだ人の方が大きな○を持っています

魂について考えて来た人の方が、死んだら終わりの人より大きな○を持っています

  

農業を例に出すと、トマト栽培において、旧来の窒素、リン酸、カリで土壌を管理し

窒素で施肥の量を加減する技術より、カルシウム、マグネシウム、イオウ、ケイ素、微量要素

プラス酸素、水素、炭素まで加味して、管理する技術の場合、必要あるか無いかは別にして

理論としては○が大きいです。

一度大きな○を身につけると、それより小さな○は中に入ってしまいます。

もっと大きな○を、大きな世界を知りたい、そう求め続けるのが人間だと思います。

 

仕事や知識で何を求めるのかは、どこへ向かうのかは個人の自由ですが

共通して求めるべきは、人としての成長、魂の成長でしょうか?

 

信頼、やっぱり人としての信用が一番

いろんな考え方があります。 いろんな技術があります。

トマト販売でも、農家は団結して産地を作り、農協を通して小売店に販売するべき、

農家が直接スーパーなど小売りと取引するべきではない、 やられるのは農家だから。

一方、産地も良いけどやっぱり直取引が良い、団体だと自分の味が出せない、お客からあなたのトマトが

ほしいと言われたい、直接取引の方が、農家は高く、お客は安いからそっちが良いよ。

堆肥が土作りには一番良い、農家の技術は堆肥作りにある。

土作りには堆肥は間違いだ、決して畜産糞尿は入れてはいけない。

いろんな人と、つきあっていく中で、いろんな意見を聞きます。 ここで大事なのは、いろんな意見を聞くこと。

以前、堆肥の話で、堆肥は危険だと話したら、否定はしないでくれ!と怒られた事もありました。

でも、技術的にお互い理論的に検証することは必要です。

農家は情報収集をしなくてはいけません、例えば肥料屋は肥料について良いことしか言いません。

その時、検証出来るだけの情報が農家に無ければ、何かあってもリスクを負うのは農家です。

販売についても同じ、広く交流し情報を収集して、知恵を付け、お互いが助け合えば

もっとうまく行く、そう考えます。

昔の篤農家のように技術を自家薬籠中にして漏らさない人、たいしたこと無いです。

コロンブスの卵のように、何でも無いことでも、知らない人には目から鱗が落ちるような事もあります。

全部は教えなくても良いですが、教えたところですぐにまねできないのが農業ですから、

教えれる範囲で、学びに来た人には語れば良いじゃないですか。

いいとこ取りしようとする人、聞くけど言わない人、そういう人はすぐ判ります。

そんな人は何も教えてもらえなくなります、縁遠くなりますから。

やはり最後は人としての生き様、生き方じゃないですか、

信頼ですよね、人としての信頼が大切じゃ無いでしょうか。  

農家として、ずっと生きていく以上、農協関係や組合の肩書きや、役職も大切ですが。

熱く語れる、信頼出来る仲間を沢山もてるようになりたい、

そう考えながら、毎年、いろんな人に会いに出かけます。

自営業にプライドは必要ありません。

良いと思ったらすぐに取り入れ

だめだと思ったらすぐに替える

これだと思ったら、物になるまで突き詰める。

農家も自営業、

うまく行かないときは、うまく行ってる人を見に行き、まねをすれば良いのです。

うまく行ってない人を見たときは、うまく行ってないことをまねしなければ良いのです。

どっちだって、勉強になり、為になります。

僕も常に人を見て参考にします、良いと思ったらすぐ取り入れます。

でも、農業者って意外に頑固な人が多いです、自分だけで改良して、人のまねはしない、

それだと、改良するのに時間がかかりすぎます。

時間がもったいない、良いことはまねをして自分の物にすれば良いのです。

だから僕は、これからも、いろんな人を訪問し、花村トマト農園を改良し続けます。

やっぱり儲けないと、

人を助けたかったら、やっぱり、お金が無いと、自分が助けてもらう羽目になります。

僕は就農してから、今現在まで、本当にいろんな人に助けていただきました。

助けてもらうと言うか、協力してもらったり、教えてもらったり、本当に金だけでは無い、

無償の助力をどれほど受けたか、感謝しています。  で、今度は誰にお返しするのか?

もちろん受けた人に返すのもありますが、これから農業する人、また今、何か困っている仲間。

それらに、僕が出来る事をまた無償で応援して行きたいと考えて、新規の就農者などや

土作りで難儀をしている、仲間の農家などに出来る限りの応援をしてみたりします。

でも僕自身まだ完全には軌道に乗っていません、儲かってもいません。

言い方悪いですが、うまく行っていない、儲かってもいない人に、励まされたり、応援を受けても

うれしく無いです。 ましてやアドバイスなんて、恥ずかしいです。

僕が励ますだけで、元気が出るような、応援するだけで喜んでくれるような。

アドバイスをしたら、聞きたくなるような、それでうまく行くような、そんな、

人の力になれる人になりたい。  

それには僕が力が無いといけない。 僕が輝いてないといけない。

農家として周りの農家の助けになれるような力のある農家になりたい。

今あるノウハウを全部教えても、常に追いつかれない、進化し続ける人になりたい。

まあ、そういう人に私はなりたい。

目標は高く、そして儲かっても、それで威張るのでは無く、人の力になれる人を僕は目指します。

あなたがいて良かったと言われる人になりたい。  顔晴ります!

就農に至るまで

ここは岐阜県恵那市上矢作町、長野、愛知両県との県境の田舎町です。
また東美濃農協の中津選果場管内のトマト産地の町村の一つです
古くから林業で栄えた町でありましたが、近年は主な産業が町役場と
公共事業しかないと言った典型的な過疎の山村です。
親父の代で僕が5歳の時に、米農家、蒟蒻農家をやめ1台の重機を買って
重機屋を始め、僕は重機屋の仕事で大学まで出してもらいました。
結婚し子供ができてから帰郷し、親の仕事を手伝い継いだのが平成10年
それから数年で公共事業の急激な減少により、単価のたたき合いになり。
手持ちの資金があっという間に無くなりだしたのをきっかけに、
倒産に追い込まれる前に重機屋に見切りをつけて、平成19年に
農協の共同出荷体制に乗る形で就農しました。古くからの農家、林業家が
建設業に転身し、そしてまた農家に戻りました。以来5年、全力で
農業に取り組んできました。

 何故、この田舎町に帰ってきたのか? 若い頃は横浜にあこがれて
横浜に行くのが第一の目的で関東学院工学部土木工学科に学び、バブルの
終わり頃でしたが就職に苦労することもなく、中堅ゼネコン(株)新井組の
東京本店に就職して、横浜の日吉の会社寮に住んでいました。
ところが名古屋に転勤になり、そこで女房と出会い結婚し、子供ができました。
当時のゼネコンの現場監督の勤務形態は、土木の場合、常に現場暮らし
そしてほぼ、目が覚めている時間は仕事、というくらい過酷でした。
長年つとめている先輩方は本当にすごいと思いました。僕は独身の時は
頑張れましたが、結婚して子供を授かったときに、この子の成長に
父親としてもっと関わりたい、子供と毎日夕ご飯を食べたいと、顔が見たいと
心底思いました。   

 その原点はやはり生まれ故郷の田舎にあったのです。
曾じいさん、ばあさん、じいさん、ばあさんと父母の4世代同居で育った僕は、
家族はいつも一緒にご飯を食べ、語らい支え合って生活する。地域の人達の
つながりの中で普通に育った僕は、会社の先輩達のようには頑張れそうには無い。
そう悟った僕は、あこがれていた都会の暮らを捨て田舎に戻る決心をしました。、

  女房は生粋の名古屋人であり、しかも下町の商人の家に育った人間です。
ただ、下町の商売屋でしたから家族はいつも一緒に仕事をしてましたので、
僕が常に現場単身赴任状態で長時間残業には不満があったようで、お願いして
この田舎に一緒に来てもらいました。田舎暮らしそれは女房の協力無くしては
できなかったので、そこは今でも感謝しています。実は女房も高校も愛知県の
安城農林高校畜産科卒業の農女予備軍ではありましたけど。
ただ下請け重機屋の親方から農家に転身し、いわゆる農家の嫁に、結果として
なるとはその時では、僕も女房も想定外でした。

地元中津高校を卒業して12年目の30歳であこがれの都会暮らしをやめて
実家に帰ってきました。長男ですから親は歓迎してくれました。
そして39歳の時、公共事業もからも撤退し、不景気で仕事も無い中、
農業で起業することに決め、就農しました。

何で、農業なの?

年々拡張し、周りの樹木も伐採して、日当たり、風通しを良くしました。

トマト1つに愛を込めて

何故、農業で起業したのか? そこにはいろんな思いがあります

 

1つ目 建設業時代から土にふれながら、外で体を動かす仕事が好きだったこと。 

      地面とつながった暮らしがしたかったこと。

 

2つ目 誰かに命令され、振り回され、主観的な評価で叩かれるのに
        もう飽きた。いわゆる多くの勤め人達が普通に感じている職場の
     ストレスから、サラリーマンにも下請けにも戻りたくなかった。

     自然のペースと共に暮らして見たいと考えた。

 

3つ目 林業も無い、公共事業も無い、自動車産業の下請けもふるわない
     その中で、ここで暮らす手段を考えたかった。子供達にどうして田舎に
     住んでいるの?と聞かれたときに、ここで生まれたからーではなく、
        もっと積極的にここを選んで帰ってきた理由、ここで楽しんで幸せに
        暮らせる理由、親として子供に楽しんで田舎暮らしをしてみせるために
        トマトを栽培して無理の無い暮らしがしたい、農業を1つの産業として

     僕もチャレンジして見たかったのです。

 

 実際、ここで育ちながらも近年は十分な仕事もなく、子供達は学校を卒業すれば
ここを離れてしまうのが圧倒的多数です。積極的に田舎にいる理由もあまりなく、
新しい家を都市部の新興住宅地に建てて地元を離れるのは、もう普通です。
それはそれで良いと思います、人それぞれですから。でも僕は逆に帰郷した人間です。
子供達にも不便さだけを強いるなら、ふるさとを好きになれと言っても無理です。
子供達にも、胸を張って、ここが好き、毎日おまえ達の顔を見ながらご飯が
食べられるこの生活が幸せなんだよと、親が胸を張って言えないと。この不便な
生活でも楽しんで生きる姿を見せようと、そう思って、あえて自営業のままで居ようと
思い、農家として、自営業として、再スタートすることにしました。

 

 就農に至っては、農協、古くからトマトを生産している先輩農家、トマト組合
ハウスの資材会社、肥料販売会社、施設園芸花卉農家など多くの人たちの協力
無しではできませんでした。そして何より家族、女房、資金援助をしてくれた親   

 本当にいろんな人達に支えられて生きている、そう感じずにはいられません。
このつながりは、先祖伝来の土地とともに引き継いだ財産でもあります。
ありがとうございます、感謝します。

 

 就農してみて、経営していくのは簡単では無いこと、自営業である以上保証も
無く、技術も未熟なうちは売り上げも安定せず、収入も不安定なこと。
農協の技術指導や組合の体制など、これからの時代を乗り切るにはたとえ
トマト産地といえどもいろんな問題を抱えていること、就農してみて初めて
わかったことも多く、自営業として農家として常にいろんな努力が必要なことを
この5年間いやと言うほど思い知らされました。そして努力してきました。

 

 この農家の努力と作物に対する思い入れを、少しでも食べてくれる人、田舎を
離れ都会に住んでいる人に伝えたいと思い、今回ホームページを開設しました。
日々の苦闘ぶりを見て、農作物にかけられた思いを汲んでくだされば
農家として幸せです。